秋田の魅力を発信、診療所の医療事務が伝えたいこと

秋田を拠点に、日常の出来事や感じたことを綴るブログ。仕事のこと、旅の記録、季節の移ろいを通して、毎日を丁寧に生きるヒントを発信しています。

AIを使うほど、「自分で書く時間」が欲しくなった


AIを使い始めた頃は、「文章を書く時間が短くなればいいな」と、それくらいの気持ちだった。

副業でWebライターをしているので、少しでも効率が上がれば助かる。ChatGPTを開いて、「この記事の構成を考えてください」と入力してみたり、「もっと読みやすくしてください」とお願いしてみたり。最初は、そんな使い方ばかりだった。

便利だとは思った。

でも、不思議なことに、使えば使うほど疲れる日が出てきた。

原因は、AIが文章を書いてくれることではなかった。

むしろ、その前だった。

「何を書きたいんですか?」

「それは誰に伝えたいんですか?」

「その経験から何を学びましたか?」

AIは、そんなことを何度も聞いてくる。

もちろん、こちらがお願いしたから聞いてくれているだけなのだけれど、答えようとすると意外に難しい。

頭の中では分かっているつもりなのに、言葉にしようとすると出てこない。

「なんとなくこういう感じ」というものを、一つずつ形にしていく作業は思っていた以上に体力を使う。

ある日の夜も、AIとやり取りを続けていた。

気づけば一時間以上、記事は一文字も書いていない。

ずっと、自分のことを説明していた。

ようやくパソコンを閉じて夕食を食べたとき、「今日は何をしていたんだろう」と少し笑ってしまった。

記事は完成していない。

でも、頭の中は妙に疲れている。

今思えば、あれは「考える」ことに時間を使った日だったのだと思う。

それでも翌日になると、またAIを開いてしまう。

一度便利さを知ってしまうと、「今日も少し相談してみよう」という気持ちになる。

昔は分からないことがあれば本を開いていた。

今は、とりあえずAIに聞いてみる。

そんな癖が、いつの間にか身についていた。

便利になるというのは、こういうことなのかもしれない。

最近は、仕事が終わって帰宅すると、まずChatGPTを開く。

記事の相談をしたり、構成を考えてもらったり、タイトルを一緒に考えたり。

以前なら一人で何時間も悩んでいたことが、短時間で整理できるようになった。

だから助かっている。

その一方で、少し気になっていることもある。

AIとの会話は、その場ではとても濃い。

でも、数日経つと、どこで何を話したのか思い出せなくなる。

「あのアイデア、良かったな。」

そう思って探し始めても、チャットが増えすぎて見つからないことがある。

ノートに書いたメモなら、ページをめくれば見つかる。

ブログに書いた文章なら、何年後でも読み返せる。

でもAIとの会話は、頭の整理には役立つのに、自分の記録として残しておかなければ、意外と簡単に流れてしまう。

だから最近は、AIとの対話とは別に、自分の文章を書く時間を意識して作るようになった。

誰かに読んでもらうためではない。

あとで自分が読み返すためでもある。

「こんなことを考えていたんだな。」

そう思える文章を残しておきたい。

AIが広げてくれた考えを、最後は自分の言葉で書き直す。

その時間が、以前より大切に思えるようになった。

AIがあるから書かなくなるのではなく、AIがあるからこそ、自分で書く意味を考えるようになった。

少し不思議だけれど、今はそんなふうに感じている。

これからもAIは使い続けると思う。

便利ですし、仕事でも欠かせない存在になりつつある。

それでも、このブログだけは、自分の言葉を残す場所であり続けたい。

AIに相談した日も、何も思いつかなかった日も、その日の自分が考えたことを、自分の文章として残していく。

その積み重ねが、数年後に振り返ったとき、一番価値のある記録になるような気がしている。